仕込み多すぎて目が回りそうなので、こちらの写真でお許しを。

初海外で訪れたロンドン。「雑誌の企画に応募して、選ばれた読者5人でポールスミスのオフィスを訪ねる」というなかなかぶっ飛んだもの(読者モデルとかではない)。突っ込みどころ満載だけど、とりあえず19歳。若い。ポールスミスは凄くいい人でした。(メンズノンノ1996年11月号)

  何ヶ月か前、仕事が終わってから遊びに行ったイベントでこんな話になった。

「ヌマタくんさ、バンドやったりDJやったりでさ、よく奥さん怒らないね」

バンドやったりDJやったりどころではない。基本的に僕は朝から晩まで(これは比喩ではなく本当に朝から晩まで)自分の好きな仕事をしており、それ以外の子育てや家事は基本的に任せっきりのどうしようもないロクデナシ………。この件に関してあまりつっこんで書くと、自分の首をぎゅーっと締めることになるのでやめるが(いや待てよ、頼まれもしないのに切り出したのは僕の方だ)、僕は随分前から妻も何かして「これでおあいこだね」というパワーバランスに持ち込みたかった。だから3カ月ほど前、妻がダンス(ジャンルはヒップホップ。学生時代に本格的にやっていた)を再開した時は嬉しかったし、全面協力体制をとった。久しぶりに見た踊る姿はCOOLできらーんとしていた。子供たちも、特に妻の影響でダンスをはじめた娘にその姿を見せることができたのが嬉しかった。僕に何かしらのポリシーがあるとするなら、「寝食を忘れて夢中になれるものが、いつかつまずいた時に支えてくれる」ということと「大人になるのも悪くないんだよ」ということ。

昨日は妻の誕生日。
サプライズで用意した羊毛作家ウエダマリコさんの人形のおかげで、僕の株は結構上がったようだ。仕事でお祝い出来なかったので、明日の定休日にはささやかにパーティをしたい。

    

 「健一君ボックス」4年生の時の日記

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めったに見れない日本地図の雲 1986年12月7日

今日は、近所で葬式があったから兄弟3人でるすばんをしていました。
とつぜん姉が、
「空に日本地図のような雲がある」
と言ったのでいそいで外に出たら姉が
「西の方を見な」
と言ったからいそいで西の方を見ると、本当に、日本地図がありました。

僕は、うまやうさぎなどは見たときがありますが、日本を見たのは初めてです。
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4年生といえば僕の娘と同じ歳だが、僕は自我の芽生えゼロ。親の選んだ服を着て、いつもの床屋でスポーツ刈りにしてもらって、神社の境内で真っ暗になるまで駆け回っていた。習い事もなく、宿題もほどほど。昔から読むのも書くのも好きだったから図書室にはよく行っていたかな。なんにも悩まず、ただ生きていれば良かった時期。テイラースイフトとかビヨンセ聴いて、ヒップホップ踊って、一年生位から服も自分で選んでいた娘との違いに驚く。まあ28年後にこうしてインターネット上に日記を晒される運命にあると知った4年生の僕の驚きに比べたら大したことないかもしれないが。

面白いオチが全く浮かばないまま時間切れになったので今日はここまで。

皆さま良き週末を。

Blogを書き進めるに連れて、生い立ち的な内容の多さからだんだん自伝を書いているような気持ちになってきている。

今年の元旦に亡くなった僕の祖母「ばあちゃん」が大切に保管してくれていた「健一君ボックス」を夏に帰省した時に譲り受けた。日記や通知表、新聞の切り抜きや雑誌まで、その内容たるや「沼田 健一記念館でも作る気だったのか?、ばあちゃん⁈」的な内容。Blogのネタが無い時(汗)、忙しくて書けない時に(涙)小出しにしていくのでおたのしみに。

何故こんなものが?

中学2年の時に生徒会長に立候補した時のポスター。ばあちゃん、いくらなんでもマニア過ぎるぜ。  
 

  
夏が終わり、涼しくなりはじめてランチボックスや惣菜ボックスのオーダーが日に日に多くなっている。何年か前までは「出来たてを店で食べてもらいたい」とか「野外なんてやれることが限られていてやりたくない」とか思っていて、テイクアウト販売や野外出店に消極的だったが、最近では数字的にも無視できないくらいの需要があり、「どうやったら美味しくたべてもらえるか?」の方向に考え方をシフトしてオペレーションやレシピの改善に力を入れている。要するに背に腹は代えられないということだ。

一年ほど前、息子のカズマが恐竜を好きになって、色々調べているうちにいつしか僕もその奥深い世界に引き込まれることになった。中でも面白かったのが「恐竜絶滅の謎」。6600万年前の巨大隕石落下による環境の急激な変化でそのほとんどが絶滅。最終的には厳しい環境に適応できた哺乳類が生き延び、現在の繁栄がある。
「環境の急激な変化に適応できた種だけが生き延びることができた」
言わずもながら、飲食業界もここ数年急激な変化に見舞われている。T-Rexのまま生きて華麗に滅びるわけにはいかないので、ネズミ並みの適応能力を身に付けて、生き延びる術を模索していきたい。 

  

    
 

 
  

こうして寝ながら観る。この日は思い出のマーニーだった。

映画の英才教育のたまものの4歳児。

金曜日と土曜日(翌日小学校が休みの日)の夜、ご飯食べてお風呂に入った子供達の上映会が始まる。ビデオカメラのプロジェクター機能を使い真っ暗な寝室の白壁に映画を写す。寝落ちして夢の中で映画の続きを観てもいいし、最後まで観てもいい。作品は自分達で選ぶ(ほぼ毎回カエデとカズマで争いが起きる)。ジブリ、ピクサー、ジュラシックパーク、マイケルジャクソンThis is it、最近はStar Warsにハマってみんなで観ている(僕以外)。当然僕が帰る頃には終わっていて、翌朝「あのね〜、昨日ダースベーダー死んじゃったんだよ」とかそんな話を聞かされる。
別に「映画の英才教育をしよう」とかそんなんじゃないけど、僕ら夫婦の教育観は「子供だからって子供っぽいものを与える必要はない」という部分で一致している。小さい頃から良質な物語の洪水の中にいれば、選ぶ視点が違ってくる。どうせ中学生位になればほっておいても好きなものを見るんだから。

僕も何度か上映会に遭遇したが(3連休で月曜日も休みの時は日曜日も上映会をする)、ドキドキしてなかなかいいものだった。もっとも、ビール飲んでたせいで0歳児より先に寝てしまったのだが。

  僕の周りにはいくつになっても「きらーん☆」を失わない人がいる。
「きらーん☆」とは僕ら夫婦でいつの間にか使われるようになった言葉。美味しい食事や楽しい出来事、美しい景色や素晴らしい音楽に触れた時、その人達の表情は「きらーん☆」と輝く。人は年齢を重ねて経験値が上がれば上がるほど冷静になっていく。「あ、それ知ってる」と。もちろんそれでいいのだけれど、感情方面に関してはその経験値が邪魔だったりするもの。いつまでもいつまでも新鮮な感動を持ち続け、言葉や表情に出す事が出来るのはひとつの才能なのだ。

そのお客様は1.2ヶ月に一度ご来店される。

カウンターに座り「今の曲すごくいいね」とか「このパスタとソースの組み合わせ素晴らしいね」とか色々褒めて下さり、お帰りになったテーブルの上に小さな手紙を残してくれる。心をフラットにしておくのはなかなか難しいけど、僕も素晴らしいものに触れた時には必ず声に出そうとそのお客様がご来店下さる度に思う。「きらーん☆は一日にして成らず」なのだ。

この1年でのブラックバードならではの取り組み。

①作家ものの器導入。
②野外イベントでの陶器の器、ステンレスのフォーク、ガラスのグラスの使用。
③生パスタの本格的な導入。
④ランチボックス販売開始。
⑤お惣菜ボックス販売開始。
⑥オリジナル商品券販売開始。
⑦Blog再開。
ぼんやりとした「やれたらいいよね」をとことん突き詰めて実現してきた。自分で言うのも何だがなかなか激しい1年だったように思う。


①作家ものの器導入。


②野外イベントでの陶器の器、ステンレスのフォーク、ガラスのグラスの使用。

   
③生パスタの本格的な導入。


④ランチボックス販売開始。 

 ⑤お惣菜ボックス販売開始。

⑥オリジナル商品券販売開始。

  
⑦Blog再開

  小さい頃、僕の家には母が若い頃買ったというYAMAHAのクラシックギターがあって、僕の父親は適当に酔っ払うと時々それを弾いた(母はカーペンターズを弾きたくて買ったが挫折したらしい)。それこそ「禁じられた遊び」とか「古賀メロディー」とか「よく分からないマイナーコードの演歌」を歌いながら弾いた。「ぞうさん」みたいな童謡を歌うこともあった。歌の方は地元のカラオケ大会で入賞する喉の持ち主だけあって悪くなかった(と小学生ながらに思っていた)。ギターの方は上手くもないし下手でもなかったが(そもそも練習しているのを見たことがない)、父の演奏を聴くのが子供心に結構好きだった。中学に上がると急に自分で弾いてみたくなって、基本的な指使いを父に教わった。1カ月位すると「ドレミ」と「禁じられた遊び(最初の転調する前まで)」は弾けるようになっていた。

1989年の秋。時代はイカ天ホコ天のバンドブーム。
同級生に借りたCDの中にTHE BLUEHEARTSというバンドがいた。真っ直ぐな歌詞、PUNKROCKという聞き慣れない言葉。叫びを上げるエレキギター。枯れたハーモニカ。全てが最高で、夢中になった。気づくと僕はクラシックギターでは物足りなくなり、どうしてもエレキギターが欲しくなっていた。(つづく)

   

 
「せっかく産地の近くで店をやっていて、いろいろな作家さんと知り合えたのだから、コストや割れてしまうリスクや管理の大変さなんかは目をつぶって、思い切って始めてみよう」

そんな考えで店で陶器の器を使うようになってまもなく1年が過ぎようとしている。
お恥ずかしい話だけれど僕はもともと陶器には全く興味がなくて、業務用の磁気の佇まいが好きだったから、自分の店で作家ものの陶器を使うようになるなんて全く考えていなかった。きっかけはいろいろあるけれど、やはり鈴木稔さんとの出会いが大きい。店内でワークショップをやり、実際に自分も参加したことでそれまでにはない器の魅力に気づくことができた。ここ何年かで稔さんや‘独り問屋’の日野明子さんの紹介で、沢山の作家さんが店やクッキングスクールに来てくれるようになった。一日中回すにはまだまだ全然数も足りなくて主にディナータイムだけになってしまうが、出来るだけ個展や工房に直接足を運んで買い足していきたい。ちょっと気を緩めると買いすぎてしまうことが、今のところの一番の悩みでもあるのだが(笑)