20代の真ん中ごろの話。
休憩時間の度に本を開く僕に、当時働いていた店のシェフが放った言葉の矢が未だに脳天に突き刺さって抜けないので試しに紹介してみよう。

「おまえさ、そんなに本ばかり読んでるとバカになっちゃうよ」

この一言にはシビれた。
本当にその通りなのだ。

「ゲームばかりやってないで少しは本でも読みなさい」と世間の親は言う。でも本を読めば何か知恵がついたり勉強ができるようになったりするかといえば実はそんなに単純なものでもない。当たり前だけど、「どんな本を読むか?」が何しろ大切なのであって、僕が好きで読んでいる本は「枯れた井戸の中にわざわざ入って」みたり、「一角獣のホネをチーンと鳴らして」みたりロクでもない内容のものばかりだ。映画、音楽、文学…。優れた芸術作品はすべからく「人をダメにする」作用をもつ。純度が高ければ高いほど効き目が強い。身も蓋もない表気をすると「僕はバカになるために本を読んでいる」のだ。
ついでにそのシェフに言われたもうひとつの言葉を紹介しよう、

「Radioheadとかそんなんばっかり聴いてるとバカになっちゃうよ」

正しすぎてぐうの音もでない。

いまでも人生に悩んだ時、その先輩に会いに行って一刀両断されたくなる。「おまえそんなことばっかりしてるとバカになっちゃうよ」と。迷いのない正しき言葉の矢でもう一度僕のアタマを撃ち抜いてほしい。

Facebookの機能に1年前、2年前、3年前の自分の投稿が表示される「過去のこの日」というのがあって結構楽しませてもらっているのだが、 今朝1年前のこんな投稿が表示されてなんとも言えない懐かしい気持ちになった(当たり前だけれど文体は今と全く変わっていない)。


そういえば最近この「ポンポコリンのお話」してないなぁ。

 

  20歳頃だったと思う。
映画雑誌CUTの巻末の連載の中の「フィッシュマンズ」という文字に目が止まった。「ふーんこの人フィッシュマンズファンなんだ」くらいな感じで読み進めたのだが、それはフィッシュマンズの歌と同じ位素敵な内容だった(はず。正確には覚えていない。井の頭公園を自転車に乗りながらフィッシュマンズを聴いたとかそんな内容)。書いたのは高山なおみという人らしい。肩書きは「諸国空想料理店 KuuKuu シェフ」となっていた。翌週、当時住んでいた国分寺から中央線に乗って吉祥寺のKuuKuuに行ってみた。持って行った文庫本を読むふりをしながら、セミオープンキッチンの中でフライパンを振る高山さんの姿がチラホラ見えた。僕がいつか手にしたいと思っている「日常を切り取って料理と文章にする」ことを既に仕事にしている人への羨望と、自分の将来へのあまりにも漠然とした不安。注文したナシゴレンは予想よりずっと辛かったけど、美味しくて軽い飲み口のインドネシアのビールをおかわりした。7割程埋まった店内の人と人とが騒めくグルーヴがなんとも心地よく、「やっぱりいつかこういう店をやりたいな」と心の中で強く思った。

あれから20年経って、高山さんは沢山の本を出し、僕はその全部を読んだ訳ではないけれど、文章の瑞々しさは全く衰えがなくて、言葉の選び方ひとつひとつは彼女の生き方そのものなんだなと思う。僕はなんとか自分の店を持ち、こうして日常を切り取った文章を書いている。夢が叶った日々の中にいるはずなのに心の何処かはいつも乾いているように感じるのは、僕が欲張りだからだろうか。
(完全に時間オーバーなのでこの辺で)

   

 小学校高学年になると音楽の授業中「ちゃんと歌う事が恥ずかしい」という空気になったのだが、とにかくそれが大嫌いでいつも声を張り上げて歌った。教科書に載っているような「ダサい」曲だろうが一切お構いなし。声が重なったりハモったりするだけで、言葉にできない高揚感を味わえることをその時はじめてしった。

「100人の村に生まれたあなたへ」(中野裕弓著/角川文庫)
という本がある。その中の

“誰も聞いていないかのごとく歌いましょう”
“誰も見ていないかのごとく踊りましょう”

という一文が大好きだ。
照れたり、躊躇ったりしていられるほど、人生は長くない。2年前の水戸フェスのフラッシュモブで踊る妻の写真を見ていたら、そんな事を思った。子供達もさすが妻の子だ(1ミリの迷いもない)。
楽しむ事にもっと無邪気になれれば、もう少し色々な事が変わるのにな、と思う。(もちろん自戒をこめて)。

  「嗚呼、毎日がマルシェ ド ノエルだったらなぁ…(ため息)」
とは昨年の最終日我が娘の言葉。
毎年ワークショップに参加したり買い物したり、親そっちのけで誰よりも楽しんでおります。

2015の招待状が届いております。11月21.22.23日の3日間、茨城県近代美術館でお待ちしております。
詳しくはこちらをご覧ください。
https://www.facebook.com/Marche.de.Noel.kinbi

  個人的な話で恐縮ですが、本日2015年10月25日、39歳になりました。
そして26歳の誕生日に入籍したので13回目の結婚記念日です。

相変わらずいろいろあったこの1年、中でもまさかの(本当に考えてませんでした)Blog再開は僕の今後の生き方にまで大きく影響を及ぼしていきそうな勢力を保ったまま日本列島を東に縦断しています(現在進行形)。
まさか自分が39歳になるなんて。
39歳になっても精神年齢は23歳のままだなんて。
人生とはよく分からないものですね。

「よーしシェフのバースデー祝ってやろうじゃないの!」
という素敵な(奇特な)方は水戸まちなかフェスティバル真っ只中のブラックバードにムール貝食べに来るか、もしくは昨今のシェフBlogの感想を添えて(褒められて伸びる子です、僕は)
info@blackbird-mito.com
までメッセージお願いいたします!

写真は一週間前の七ツ洞公園にて。
写真家のヒロセさんに撮っていただいたお気に入りの一枚。

  

「シェフ」のような仕事をしているととにかく美食家でさぞかし毎日美味しいものに囲まれて過ごしているんだろうと思われがちだが、その考えは正しくもあり間違ってもいる。 
20代の半ばに働いていたレストランは、夕方のオープン前に全員でまかないを食べるスタイルの店だったのだけれど、僕より6つ年上のシェフが週に2回位の頻度で独り「ペヤング(大盛り2倍)」を食べる人だった。とにかく人気店で、まかないも抜群に美味しかったから「(なんなんだろうこの人は…)」と思っていたけど、なんとなく今はわかる。
ウチの店のランチ後のまかないは基本ホッシーが作る(僕はなるべく自分以外の人が作ったものが食べたいし、ホッシーは料理を覚えたい、そういう意味でとても理にかなっている)。前日の残りやランチの食材で作って基本僕もそれをいただくのだが、何日かに1度「パスタじゃない、オリーブオイルじゃない、フォカッチャじゃない、パルミジャーノレッジャーノじゃない」ものを猛烈に欲する日がある。「担々麺と半ライス(ライスはスープに突っ込む)」とか「南インドカレー」とか「スリランカプレート」とか、とにかくイタリアンから3億光年位離れた土地の食べ物がベストだけれど、そんな贅沢は言ってられないのでそんな日は納豆と味噌汁(レトルト)と白いごはんを食べる。どんな時も納豆さえあればいつだって春の陽だまりで花を摘む少女のような気持ちを取り戻せる。今日は贅沢して太田の親が持ってきて食べきれず冷凍しておいた唐揚げと焼くのすら面倒で素揚げしたハムとソーセージ、白身と黄身が絶妙なバランスで成り立った卵料理(名前はまだ無い)とサラダのこぼれそうなワンプレート丼が出来上がった。こんな上京したての大学生以下の人様にお見せ出来るはずが無いメシだけど、とても美味しくいただいた。自由に好きなだけ納豆を食べられる世界を祝福したい気分でいっぱいだ。Blogもスムーズに書けたし、15分位ウトウトしたら仔羊を焼いて圧力鍋で荷崩す日常に帰るとしよう。

  
オープン直後、知り合ったばかりの同業の先輩に「そんなに‘こんつめて’働くと長く続かないよ。オープンしたばかりで気合い入るのはわかるけど、もう少しスローダウンした方がいい。お客さんにとっていい店というのは長く続く店なのだから」とアドバイスされた。「なるほどそんなものかなぁ…」と思ったけど、力の抜き方がわからないまま7年目がもうすぐ終わろうとしている。僕は全く体力や腕力に自信がなく、体育会系と言われる飲食店は全くもって向いていない。だからとにかく楽しいことを見つけて夢中になる。湧き出すアドレナリンを力に変えて、女子高生並みの握力(それが具体的に幾つなのかはわからないけど)で今日もカルボナーラ300グラムのナベをふるのだ。
このBlogに関して「業種は違うけど共感できる事ばかりです」という感想をいただくことがある。結局のところ、料理について、飲食店について、大好きな音楽や小説や映画について一般論ではなく個人的なエピソードを細かく書けば書くほど、それらの言葉は普遍性を帯びて誰かの心に響く。僕は僕自身をレモン絞り器にかけて、カラッカラのカスしか残らないくらい毎日毎日絞り切る。具体的に「飲食業界を変える」とか「地域を引っ張る」とかそんな目的ももたず、ただただ店に足を運んでもらうため、ブラックバードに興味を持ってもらうためだけに今日も無い知恵絞るのだ。

  
次回クッキングスクールの試作でオムハヤシを作ってみた。コンソメ系化学調味料はもちろん、デミグラスソース缶、ケチャップすら使わずに「どうやってコクを出すのか」が今回の最大のテーマ。しかも家庭で再現出来なければただの「ひとりよがり」になってしまうのでNG。結果味は悪くないけどハヤシがシャバいのと赤ワインの酸味が残って酸っぱいので60点。とりあえず方向性は見えたのと、オムライス作りの技術が衰えていなかったのが確認できたから良しとしよう(今更)。

2年くらい前から本格的に野外イベント出店するようになって、とてつもなく大きな壁にぶち当たった。パスタという食べ物は出来立てをピークに一秒ごとに急速に味が落ちていき、10分を超えると魅力は半減する。茹でたて出来立てはこんなに美味しいのに、冷めて伸びたパスタの無残な姿ときたら、、、。苦肉の策として考えたのが伸びにくいショートパスタを使い、冷めてもそこそこ食べられる「ボロネーゼのフジッリ」。自分としては全然納得いかなかったけれど「野外で出店するとはそういう事」だと割り切って、せめてできるだけ熱々を提供するように心がけた。それでもお客さんの反応は予想よりもずっと上々で「外で温かいものが食べられて嬉しい」「おいしいですね。今度お店にも伺いますね」という嬉しい反応もあったけど、心の中ではずっと(待ってくれ、ブラックバードのパスタはこんなものじゃないんだ)と叫んでいた。その日から「どうにかして外でも店と全く遜色ないパスタを出せないだろうか問題」に取りかかった。何年か解決しないままだったが、去年ひょんな事から見つけた湯煎器の登場で事態は一変。バーナーで焦げ目をつけるアイデアもパッと浮かび昨年のマルシェドノエルでたどり着いたラザニア。そこから改良に改良を重ね、先週末のNanatsudo Harvest Festivalの「仔羊のラザニア」でようやく及第点の一皿を出す事ができた。仕込みの行程の多さと複雑さ、100枚以上の皿を現地に運び、終わったら持ち帰ってきて洗いまた運ぶ手間など、費用対効果を考えたら全く割りに合わないかも知れないけれど、「自信を持って食べてもらえる」ものを作れる喜びは何にも代え難いと痛感した。お客さんの嬉しそうな笑顔がいつになくうれしかった。

次は来月のマルシェドノエル。未体験の方は「ブラックバードの本気の一皿」を是非味わいにきてほしい。

    
 

2年前のマルシェドノエルで出した「ボロネーゼのフジッリ」¥600

 

仔羊のラザニアプレート¥1000